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東京高等裁判所 昭和35年(行ナ)134号 判決 1966年6月30日

原告 カール・フロイデンベルグ・コムマンデイト・ゲゼルシャフト・アウフ・アクチエン

被告 特許庁長官

主文

昭和三十二年抗告審判第一五六一号事件について、特許庁が昭和三十五年六月十日にした審決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一双方の申立

原告は主文同旨の判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二原告請求原因等

(特許庁における手続経過)

一、原告は、昭和二十八年八月三十一日、「織物又は革の特色を有する多孔平面体を製造する方法」という名称の発明について、西暦千九百五十二年九月三日ドイツ国出願を基礎とする優先権を主張して、特許出願をしたが(昭和二十八年特許願第一五六六八号)、昭和三十一年五月七日特許第一六五七三七号明細書を引用して拒絶理由通知があつたので、同年十二月十一日付をもつて意見書を提出するとともに、訂正書によつて、発明の名称を「織物の特色を有する多孔平面体を製造する方法」と改め、また、特許請求の範囲をも訂正したが、同年同月二十七日拒絶査定がされた。

そこで原告は昭和三十二年八月六日抗告審判を請求したが(同年抗告審判第一五六一号)、昭和三十五年六月十日右抗告審判請求は成り立たない旨の審決がされ、その審決書の謄本は同月二十九日原告に送達され、これに対する訴提起期間は職権により昭和三十五年十一月二十九日まで延長された。

(特許請求の範囲)

二、本願発明の出願明細書における特許請求の範囲に記載したところは、

「ゴムの如き膜形成接着剤と必要に応じ加硫剤、給湿剤、老化防止剤、充填剤の如き添加物を含有する分散液又は乳化液を繊維薄層物に含浸せしめて、この含浸形成物を熱処理により固化して織物性質の多孔性面形成物を製造する方法に於て、天然及び(又は)人造ゴムの外にフオルムアルデヒドとアミノ化合物例えば尿素又はメラミン又はフエノール類又はこの誘導体との初期縮合物を含有し、ゴム一〇〇重量部毎に重縮合物約一乃至八重量部の割合となした分散液又は乳化液を繊維薄層物に含浸せしめ、含浸した形成物を熱処理によつて固化せしめてゴムは加硫し、重縮合物は更に縮合して不溶性最終状態となすことを特徴とする織物性質の有孔性面形成物の製造方法」

というにある。

(審決の要旨)

三、本件審決は、本願発明の要旨を右特許請求の範囲記載の通りと認定し、他方、前記拒絶査定において引用した特許第一六五七三七号明細書には、動植物繊維薄層物に尿素フオルマリン初期縮合物および可溶性澱粉のアンモニア性水溶液とラテツクスもしくはゴム乳化液との混合液を施し乾燥することを特徴とする擬革素地製造法が記載されていると認定し、この認定に基づいて両者を比較対照し、尿素フオルムアルデヒド初期縮合物を含有し、かつ加硫剤を配合したゴムの分散液または乳化液を繊維薄層物に含浸し、含浸した形成物を熱処理して有孔性面形成物を製造する点において両者は同一であり、ただ本願発明においては、ゴム一〇〇重量部ごとに前記縮合物約一から八重量部の割合とした分散液または乳化液を使用する条件が定められている点において異るのみであるとし、この差異点について、面形成物の所望の性質に応じてゴムと重縮合物の割合を変更することは当業者の適宜に行いうるところであつて発明の存在は認められず、したがつて本願の発明は旧特許法(大正十年法律第九十六号)第四条第二号に該当し、同法第一条の新規な発明と認めることはできないとしたのである。

(審決取消を求める理由)

四、原告は引例発明のものにおいては、本願発明と同様に、ウエブ状の繊維層を浸漬法によつて処理する態様をとり得ることには疑問をいだくものであるが、本件ではこれを認めることとする。しかし、引例発明では結合剤として、

(イ)  尿素・フオルマリン縮合物

(ロ)  可溶性澱粉のアンモニヤ性水溶液

(ハ)  ラテツクス若くはゴム乳化物

の三成分よりなる乳化液が使用されるに対し、本願発明では右の(イ)及び(ハ)の二成分よりなる乳化液を使用する点、並びに引例発明は目的物が擬革素地であるに対して本願発明は織物性質の有孔性面形成物(いわゆる不織布)の製造を目的とするために当然に処理の仕方が違うという点において、それぞれ顕著な相違が認められるので、引例特許明細書は本願発明に対する公知文献とはなり得ないものであると考える。従つて右特許明細書を引用して本願発明の新規性を否定した審決は違法であり、とうてい取消を免れない。

(結合剤の組成)

(一)、審決は、「引用例におけるゴムと尿素フオルムアルデヒド重縮合物との配合割合」は、実施例にはゴムが少量で重縮合物の方が多い例が示されているけれども、この配合割合は必ずしもこのような例にのみ限定されるわけではないという。しかし、一般に実施例には発明の最も好ましい態様を記載するのが常識であるから、引用発明の実施例は、尿素・フオルマリン縮合物の配合割合をゴムに比べて多くすることが「擬革素地」の製造上好ましいということを言外に述べているものと称して差支えない。

このように擬革素地の場合には、尿素・フオルマリン縮合物の配合量を多くする必要上、素地が固くなるのを防ぐために、引例発明では柔軟剤としての「可溶性澱粉のアンモニヤ性水溶液」(以下これを単に澱糖または澱粉成分と略称することがある)が必須成分として添加されるのである。このことは、引例明細書の発明の詳細なる説明の項に「本方法の如く可溶性澱粉を使用するときは尿素・フオルマリン縮合物と結合して繊維を柔軟となし、屈撓性を向上し得る利益あり」と記載せられているとおりであり、また同じ項の別な部分に「尿素・フオルマリン縮合物と可溶性澱粉のアンモニヤ性水溶液とゴムとの三者相まつて好結果を示す」とあるように、引例発明では、これら三成分を必須成分とする乳化液を結合剤として使用することによつて、始めて良質の擬革素地が形成されるのである。

これに対し、本願発明では澱粉成分は全く不要の成分である。本願発明において用いられる乳化液は「尿素・フオルマリン縮合物」と「ラテツクス」(ゴム)の二成分のみよりなり、しかも、その組成割合は、ゴム一〇〇重量部に対して右縮合物は一ないし八重量部であつて、引例発明とは逆に、ラテツクスの方が圧倒的に多く配合される。かくすることによつて、本願発明では澱粉成分のような柔軟剤を使用しなくても、柔軟性に富む不織布を得ることができるとともに、従来公知のラテツクスのみを用いる不織布の欠点を除去することができるのである。

かくして引例発明では、擬革素地の柔軟性がその不可欠成分である澱粉成分によつて賦与されるのに対し、本願発明による不織布の柔軟性は、引用例のものとは逆に縮合物に対するゴム量が圧倒的に多いということの外に、後記するような処理方法の相違に基づく(繊維と繊維とが実質的にその交点においてのみ結合剤により結合されているという)不織布の構造上の特徴にもその相当部分を負つているのである。従つて、本願発明においては柔軟性を与えるために澱粉成分を添加する必要は全くないものである。

(処理方法の相違)

(二)、次にウエブの処理方法についてみるのに、引例明細書には「………綿、スフ等の展綿層………に浸漬法………に依りて施与し乾燥す」と記載せられており、一方本願発明では、特許請求の範囲の項に見られるように「………繊維薄層物に含浸せしめ、含浸した形成物を熱処理により固化せしめ………」とせられている。この各記載だけを比べれば、一見両者の処理工程には相違がないように見えるけれども、両発明の目的を考慮して実際に則して考えるならば、決してそうでないことが明らかである。

引例発明は「擬革素地」を目的とするものであるから、比較的大きな空孔を有する有孔性面形成物であつては実用上無意味である。擬革には天然皮革に近い性状が当然要求されるから、その有孔性は毛管的な小さな気孔程度のものでなければならず、また相互の強靱性も必要となる。従つて、結合剤乳化液は比較的濃厚なものを用い、浸漬した後もウエブを絞ることなく比較的多量の結合剤を繊維間に保持したまま乾燥する必要がある。これらのことについては、引例明細書には何ら明記されていないけれども、擬革素地を目的とする以上、当然にかくあらねばならない筈である。

これに対し、本願発明では、特許請求範囲の項に「………多孔性面形成物を製造する方法において………」とあることから明らかなように、前記「尿素・フオルマリン縮合物」と「ラテツクス」とを一ないし八対一〇〇の割合で配合した乳化液を使用すること以外は、不織布製造における公知の処方に従つて処理されるのであり、従つて結合剤乳化液の濃度は公知の如く比較的(少くとも引例のものよりは)うすいものであり、しかも浸漬した後に公知の方法に従つて余剰の結合剤を圧搾等の手段によつて除去し、乾燥するものである。従つて、結合剤は不織布の各繊維の交点にのみ存すると称して差支えない程度の量しか存在しない。本願特許請求範囲の項には、このような処理方法について何ら具体的に示されていないけれども、それはこのような処理方法が従来の不織布について既に顕著に公知の事実であつたからであり、前記のような「………多孔性面形成物を製造する方法において………」という表現で十分にこのことを示唆し得ると考えられたからである。

(結論)

(三)、以上要するに、引例発明はその目的から考えて、実施例に見られるような尿素・フオルマリン縮合物をラテツクスよりも多量に含む結合剤を使用することを趣旨とすることが明らかであり、しかも、この結合剤には必須成分として「澱粉成分」が配合されている。右縮合物とラテツクスとの配合割合は実施例の記載にのみ限定されるものでないとした審決は、引例発明のこのような目的に対する考慮を全く欠いだ判断というべきであり、また前記のような必須成分としての澱粉成分の存在を全く無視して、審決中において何らこれに言及していないことは、明らかに審理不尽といわなければならない。

仮りに引例発明におけるラテツクスと尿素・フオルマリン縮合物との配合割合は実施例に記載された配合条件に限定されるものでなく、引例発明においても本願発明の場合と同様に尿素・フオルマリン縮合物よりもラテツクスの方を多量に配合する方法がとられ得るとしたところで、引例発明では澱粉成分の添加が必須の要件とせられている以上、その結合剤の組成と本願発明における結合剤の組成との間には依然として相違点が残されている。引例発明におけるこのような必須条件たる澱粉成分の存在を無視して、本願発明が引例の記載から容易に推考し得るというような考え方にはとうてい承服することはできない。

しかも、前記したように、引例発明と本願発明との間には、目的の相違に基づく処理方法の当然の相違が認められるから、仮りに引例発明において尿素・フオルマリン縮合物よりもラテツクスの方を多量に配合した縮合剤乳化液を使用したとしても、得られるものは本願発明のものとは全く異なる性状を有する物である。このように異なる物を製造することを目的として作成された引例明細書の記載からは、如何にしても本願発明を着想し得るものではない。

(被告の主張に対する反論)

五、なお原告は被告の主張に対し次のとおり述べた。

(一)、被告は、ラテツクスと尿素・フオルムアルデヒド初期縮合物との協働性に本願発明の本質があるとの認定の下に、本願を拒絶すべきものと判断したというのである。協働性とは、右縮合物にラテツクスを添加すれば柔軟化するということを意味するのであろうが、引例明細書にはそのようなことについて何も述べられていない。引例発明では、むしろ「尿素フオルムアルデヒド初期縮合物」と澱粉成分の協働性が問題にされている。すなわち、その明細書の発明の詳細な説明の部分に「この場合カゼイン等の溶液を使用すれば尿素フオルマリンカゼインを生成し繊維を硬化し………」と記載せられているように、従来使用されていたカゼインでは繊維が硬くなつて好ましくないので、引例発明では澱粉成分を用いることにより「尿素フオルマリン縮合物と結合して繊維を柔軟とし、屈撓性を向上し得る利益がある」とせられているのである。

引例発明の出願当時の技術としては、尿素フオルムアルデヒド初期縮合物とラテツクスとを引例発明に見られる程度の割合に配合し、これにカゼイン等を添加することが行われていたにすぎなかつたのであり、カゼインでは前記のように繊維を硬化する欠点があるので澱粉成分を使用することによつて柔軟性を賦与しようとしたのが引例発明なのである。このように引例発明においては、柔軟化は澱粉成分によつて達成されているのであり、ラテツクスは柔軟剤として作用していない。いいかえれば、尿素フオルムアルデヒド初期縮合物とラテツクスとの協働性は引例には示されていないのである。

若し被告がいうように、ラテツクスを柔軟剤として使用する技術思想が古くから当業界の常識として存在していたとすれば、尿素フオルムアルデヒド初期縮合物とラテツクスの二成分だけで引例発明と同じ目的が達成されるから、そのような公知文献があつてもよい筈である。にもかかわらず、そのような公知文献は全くなく、引例発明のようにわざわざ第三成分として澱粉成分を配合するような方法がとられているのである。引例発明においてラテツクスを使用しているのは、それによつて柔軟化の目的を達成しようとする技術思想に基づくものではなく、引例明細書に記載されている程度の量のラテツクスを尿素フオルムアルデヒド初期縮合物に対して配合することが従来から慣習的に行われていたために、それを特別な意味もなしにただ踏襲しただけのことではなかろうか。有孔性面形成物の結合剤とでは澱粉成分を用いることにより「尿素フオルマリン縮合物と結合して繊維を柔軟とし、屈撓性を向上し得る利益がある」とせられているのである。

引例発明の出願当時の技術としては、尿素フオルムアルデヒド初期縮合物とラテツクスとを引例発明に見られる程度の割合に配合し、これにカゼイン等を添加することが行われていたにすぎなかつたのであり、カゼインでは前記のように繊維を硬化する欠点があるので澱粉成分を使用することによつて柔軟性を賦与しようとしたのが引例発明なのである。このように引例発明においては、柔軟化は澱粉成分によつて達成されているのであり、ラテツクスは柔軟剤として作用していない。いいかえれば、尿素フオルムアルデヒド初期縮合物とラテツクスとの協働性は引例には示されていないのである。

若し被告がいうように、ラテツクスを柔軟剤として使用する技術思想が古くから当業界の常識として存在していたとすれば、尿素フオルムアルデヒド初期縮合物とラテツクスの二成分だけで引例発明と同じ目的が達成されるから、そのような公知文献があつてもよい筈である。にもかかわらず、そのような公知文献は全くなく、引例発明のようにわざわざ第三成分として澱粉成分を配合するような方法がとられているのである。引例発明においてラテツクスを使用しているのは、それによつて柔軟化の目的を達成しようとする技術思想に基づくものではなく、引例明細書に記載されている程度の量のラテツクスを尿素フオルムアルデヒド初期縮合物に対して配合することが従来から慣習的に行われていたために、それを特別な意味もなしにただ踏襲しただけのことではなかろうか。有孔性面形成物の結合剤としてのゴムと尿素フオルムアルデヒド初期縮合物との協働性は本件発明によつて始めて解明せられたものである。

引例明細書の記載内容からうかがわれるこのような当時の技術水準から考えると、澱粉成分の存在を故意に無視して、尿素フオルムアルデヒド初期縮合物とラテツクスとの協働性が引例に示されていることを理由に本願の特許性を否定する被告の主張は、不適当な引例を根拠とする不当な主張というべきである。

(二)、本件の主たる争点が結合剤の組成にあることは被告の主張するとおりであつて、原告もこれについて異論はない。ただ、このことに関連して、原告が引例発明における結合剤には必須要件として澱粉成分が配合されることを強調したのに対し、被告は原告が何故に澱粉に固執するのか理解できないというが、澱粉の有無こそ両発明思想を区別する重大な相違点と考えるので、原告としてはこれを固執しないわけにはゆかない。

本件発明のように「ラテツクス」と「尿素・フオルムアルデヒド初期縮合物」の二成分のみから成り、且つゴム成分の方が圧倒的に多量に配合された結合剤を用いて有孔性面形成物を製造することは、本件出願の優先権主張日前には決して公知でなかつたものである。公知であつたのは、例えば引例に見られるように「ゴム」と「尿素・フオルマリン縮合物」と「カゼイン」から成る三成分結合剤、或いは「ゴム」と「尿素・フオルマリン縮合物」と「澱粉」から成る三成分結合剤であり、しかもこれらの結合剤においては、「ゴム」に比べて「尿素・フオルマリン縮合物」の方を多量に配合していたのである。引例発明において「ゴム」の配合割合を本件発明のように圧倒的に大きくすることが、その発明思想の本質からみてあり得ないことは、若しそのようにすれば「澱粉」を添加することの意味が全くなくなつてしまうことからも理解することができよう。

(三)、被告は、メラミン・フオルムアルデヒド初期縮合物に比べてゴムの方が圧倒的に多い配合の例として乙第一号証の記載を引用しているが、この文献は、メラミン樹脂又はそのエーテル化物が或る種の合成ゴムの加硫剤として作用することを明らかにしているだけのものである。この生成物が有孔性面形成物の結合剤として使用し得ることを示唆する記載はこの文献には全くない。

一般に二種以上の物質を併用した場合には、その併用効果が何らかの形で現われることが当然予測されるものである。しかしそうだからといつて、このような概念のみをもつてすべてを律し、特許の可否を判断することはできない。このような概念を如何に具体化し、如何なる技術的効果をもたらし得たかということが十分に考慮されなければならない。仮りに被告がいうように、この文献は生成物の硬度を高め得ることを教えるものであるにしても、これを有孔性面形成物の結合剤として使用した場合にどのような効果を生ずるかということまでは示していない。また実際問題として、この文献に記載されているようなゴム化合物は結合剤としてよりはむしろ他の一般的なゴムの用途に供されることが多いものであるから、これを有孔性面形成物の結合剤として使用することを着想すること自体極めて困難である。本件発明は、これを有孔性面形成物に適用した結果、本願の明細書に記載せられているように、「反撥弾性及び艶出性を生じ」或いは「数回に亘る化学的精練を経た後も繊維成形物の特色を依然保持する力を賦与する」というような、有孔性面形成物にとつて極めて好ましい効果をもたらし得たものである。この点から考えれば、この文献は本件発明にとつて全く無関係な文献ということができる。

また仮りにこの文献がゴムと右のような合成樹脂との協働性を示唆するものであるとしても、これは引例発明完成時以後に刊行された文献であるから、引例発明より前からゴムと右のような合成樹脂との協働性が解明されていたとは少くともいえないことになる。従つて、ゴムと右のような合成樹脂との協働性がまだ解明されないままに柔軟剤としての澱粉の配合を必須要件として擬革素地をつくることを要旨とする引例発明をもつてしては、本件発明の新規性を阻却することは不可能である。

なお被告が「尿素・フオルムアルデヒド初期縮合物とゴムから構成される結合剤は引例以前に周知」であると述べているのは被告の誤解といわなければならない。何となれば、右のような合成樹脂と或る種の合成ゴムの二成分のみから構成された「ゴム組成物」は乙第一号証によつて本願優先権主張日前から公知であつたといえるとしても、これが有孔性面形成物の「結合剤」として公知であつたとはいえないし、まして、引例発明の完成時より前にこれが「結合剤」として周知であつたとは、とうていいえないからである。

第三被告の答弁

一、原告の請求原因一から三までの事実はこれを認めるが、四における主張はこれを争う。

二、原告が本願発明と引例発明との相違点として取り上げている点は、概括的にいつて、(1)目的物の相違、(2)処理方法の相違、及び(3)結合剤の組成の相違の三点に大別される。そしてこれらの相違点のうち(1)及び(2)は次に説明するとおり両者の発明思想上の相違として取り上げるに足るほどのものではなく、本件の主たる問題は(3)の点にあり、この点の相違によつて本願発明に特許性があるかどうかが本件の鍵と考える。

(一)、まず(1)の相違点であるが、目的物が引例では擬革素地であるのに対して本願発明ではいわゆる不織布である点については、表現上の点から見れば確かに原告の主張するとおりである。しかし両者は有孔性面形成物という点では同一であり、またこの点は、原告も、引例発明においても本願発明と同様にウエブ状の繊維層を浸漬法によつて処理する態様をとり得ることを認めているので、これを争わないものと考える。そして若し、不織布自体が周知のものでなければ、有孔性面形成物質としては両者が同一であるとしても、目的物の差は発明思想の差として当然考慮さるべき事項であるが、不織布が周知であり、また原告が認めるように引例がウエブ状の繊維層を浸漬法によつて処理する態様を示すものである以上、擬革と不織布との相違は、本願発明の目的からみても、発明思想上の相違として考慮するに足るものではない。

(二)、(2)の処理方法の相違については、原告自身も認めるように本願発明の処理方法自体は周知であり、しかも引例が、本願発明と同様にウエブ状の繊維層を浸漬法によつて処理する態様をとり得ることを原告が認める以上、処理方法の相違もまた両者の発明思想上の相違としてとり上げるに足るものではない。

(三)、(3)の点については、原告は引例発明の結合剤の組成は擬革素地の製造上、澱粉成分を不可欠のものとするに反し、不織布を目的物とする本願発明においてはこのような成分を必要としないと主張するのであり、この原告の主張は本願発明と引例発明とのみを比較した上の主張としては一応正当である。

しかし原告は本願発明の本質を無視している。ゴムラテツクスを結合剤とする不織布の製造方法は従来公知であつて、本願発明はこの公知方法の改良方法としてラテツクスに対してアミノ化合物、例えば尿素またはメラミンまたはフエノール類またはその誘導体とフオルムアルデヒドとの初期縮合物を特定割合で配合する点にその特質が存するのであり、そしてこれにより奏せられる効果はバネ弾性の喪失を防止する耐老化性の向上にある。従つてゴムと初期縮合物との併用に特許性があるかどうかが本件の鍵であつて、審決はこの認識の下に、結合剤中のゴム分散液と尿素フオルムアルデヒド初期縮合物との協働性について主として説示したのであり、この意味で繊維の柔軟性に関係する澱粉成分については説示する必要がないものとして、その判断を省略したにすぎない。

引例発明の出願当時の技術としては、尿素フオルムアルデヒド初期縮合物とラテツクスとを引例発明にみられる程度の割合に配合し、これにカゼインなどを添加することが行われていたにすぎなかつたのであり、カゼインでは繊維を硬化する欠点があるので「澱粉」を使用することによつて柔軟性を賦与しようとしたのが引例発明であることは被告もまたこれを認める。しかし原告が右の点を理解しながら、何故、「澱粉」に固執するのか、被告の理解できないところである。尿素フオルムアルデヒド初期縮合物とゴムから構成される結合剤は、引例以前に周知であり、これが技術的進歩の過程において引例発明を生んだということができよう。この過程においてゴムと尿素フオルムアルデヒド初期縮合物との協働性は解明されていたとみるのが至当であり、従つて引例発明には、この点が記載されていないと判断すべきである。引例の出願日と本願の出願日との間にも技術的進歩の過程が存在する。そしてこの過程において現れた多くの技術を考慮においた上で、審決では両者の配合の変化による結合剤の性質の変化を当業者の常識と解して、その協働性を説示したものである。

ゴムと初期縮合物との配合割合を逆転することが本願発明であると原告は主張するが、メラミン―フオルムアルデヒド初期縮合物(これは本願発明の初期縮合物の一種である。)を少量添加してゴムを硬化することも既知である(乙第一号証参照)。この際メラミン樹脂初期縮合物は加硫剤として作用すると同時に、生成物の硬度をも高め得ること自明である。従つてこのような周知技術を背景とした場合、引例のラテツクスと初期縮合物との割合を逆転することは当業者に格別の発明力を要するものとは解されない。してみると、多孔性面形成物製造の際の結合剤として、ラテツクスに尿素フオルマリン初期縮合物を配合することが引例に示されている以上、本願発明の結合剤の組成は、発明思想上、引例のそれと均等と解して差支えないであろう。

第四証拠関係<省略>

理由

一、特許庁における手続経過、本願発明の特許請求範囲及び審決要旨に関する原告主張の一から三までの事実は当事者間に争いはない。

二、右当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第一、第三号証、第五号証の一、二、第七、第八号証に本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められる。

(一)、本願発明の特許請求の範囲は原告主張の通りであつて、その要旨とするところは、ゴムの如き膜形成接着剤と必要に応じ加硫剤、給湿剤老化防止剤、充填剤の如き添加物を含有する分散液又は乳化液を繊維薄層物に含浸せしめて、この含浸形成物を熱処理により固化して織物性質の多孔性面形成物を製造する方法において、

(1)、天然及び(又は)人造ゴムの外に、

(2)、フオルムアルデヒドとアミノ化合物、例えば尿素又はメラミン又はフエノール類又はこの誘導体との初期縮合物を含有し、

(3)、ゴム一〇〇重量部毎に右初期縮合物約一ないし八重量部の割合となした

分散液又は乳化液を繊維薄層物に含浸せしめ、含浸した形成物を熱処理によつて固化せしめて、ゴムは加硫し、縮合物は更に縮合して不溶性最終状態とすることを特徴とする織物性質の有孔性面形成物の製造方法にあり、従来公知のゴム成分のみを用いる不織布の製造方法に対し、前記尿素フオルムアルデヒド初期縮合物等の合成樹脂成分を加え、しかもその割合をゴム成分一〇〇重量部に対し右合成樹脂成分を約一ないし八重量部として、従来法による不織布の欠点を克服し、耐老化性で、しかも良質殊にばね弾性を喪失しないで化学的洗滌に耐える製品を得ることを目的とするものである。

(二)、これに対し審決で引用せられた特許第一六五、七三七号(昭和一七年一二月一七日出願、同一九年七月二六日特許)明細書に記載の発明は擬革素地の製造法に関するものであつて、その特許請求範囲に記載せられるところは、動植物繊維を素材とし、これに

(1)、尿素「フオルマリン」縮合物及び

(2)、可溶性澱粉の「アンモニヤ」性水溶液と

(3)、「ラテツクス」若くは「ゴム」乳化液

との混合液を施し乾燥することを特徴とする擬革素地製造法というにあつて、その発明の詳細なる説明によれば、右のような混合液の塗布によつて尿素・フオルマリン縮合物の合成樹脂成分と澱粉成分とゴム成分との三者が相まつて好結果を示すもので、この場合「カゼイン」等の溶液を使用すれば前記の合成樹脂成分と結合して「フオルマリンカゼイン」を生成し、繊維を硬化し、却つてこれを脆弱にする憂いがあるが、右方法のように澱粉成分を使用すればこれが右合成樹脂成分と結合して繊維を柔軟とし、屈撓性を向上し得る利益があるもので、これによつて従来品に比して亀裂、剥離のおそれのない良質な擬革を得ることができるというのである。そして、ゴム成分に対する合成樹脂成分の割合については、明細書において格別の限定はせられていないが、その実施例にはゴム成分に比して合成樹脂成分が遥かに多いものが記載せられている。

(三)、審決は右両者を比較し、前者(本願方法)の膜形成接着剤には加硫剤が必要に応じ添加され、一方後者(引例方法)においても、その明細書の記載からみて加硫剤および加硫促進剤がラテツクスまたはゴム乳化液中に前者と同様に添加されるものであり、かつ後者の乾燥においてゴムは加硫され、合成樹脂成分は不溶性状態まで重合されることはその目的からみて自明であるから、結局両者は右の合成樹脂成分を含有し、かつ加硫剤を配合したゴムの分散液または乳化液を繊維薄層物に含浸し、含浸した形成物を熱処理して有効性面形成物を製造する点において同一であるとし、そして前者においてゴム一〇〇重量部毎に合成樹脂成分約一―八重量部の割合とした分散液または乳化液を使用する条件を定めているのに対して後者ではこのような条件を発明構成要件としていない点において両者は相違しており、本願の出願人である原告は、前者の浸漬剤はゴムに対する合成樹脂成分の量が少量であり、得られた面成形物は織物ないし不織布の性質を有し、しかも伸縮性、バネ弾性において卓越しているのに対して、後者のそれはゴムが少量で合成樹脂成分が大部分であつて、得られた製品は脆弱である点において相違する趣旨のことを述べているが、原告の右主張は、単に右引用明細書に記載された一実施例と本願方法との比較においてなされたものにすぎず、他方後者におけるゴムと合成樹脂成分との配合割合は実施例に記載された配合条件に限定されるものでないことは明細書の記載からみて明らかであると認定し、しかもゴムと合成樹脂成分とから得られた生成物の性質について、ゴムの配合割合が高くなれば伸縮性、バネ弾性などのゴム自体の性質が増加し、反対に合成樹脂のそれが高くなれば前記の性質が減少し合成樹脂自体の性質が増加することは当業者の常識であるから、面成形物の所望の性質に応じてゴムと合成樹脂成分の割合を変更することは当業者が適宜なし得ることであり、従つて前記の相違点に発明の存在は認められないものとし、本願方法は右引用刊行物に容易に実施できる程度において記載されたもので、旧特許法第四条第二号の規定に該当し、同法第一条の新規な発明と認めることはできないと判断しているものである。

三、そこで右審決の当否について検討する。

(一)、審決がその審決理由の前段において結局両者は同一であるとした点は、原告も本訴において格別これを争つておらず、一応これを相当と見てよいであろう。

(二)、しかし前記の認定事実からも明らかなように、引例における処理剤は、合成樹脂成分と澱粉成分とゴム成分との三者を含む、いわば三成分系のものであるに反し、本願のもののそれは、右のうちの合成樹脂成分とゴム成分とのみを含み、澱粉成分は全然これを含まない二成分系のものである。

しかも引例のものにあつては、前記のように澱粉成分を使用することによつて、これが合成樹脂成分と結合して、繊維を柔軟とし、屈撓性を向上し得る利益があるとせられており、引例発明のものではこの澱粉成分の存在はその必要不可欠の要件であることが強調せられているのに反し、合成樹脂成分のことについては殆んど言及せられるところがなく、ただ三成分が相まつて好結果を示すとせられているに止まる。そしてまた右引用例のものにあつては、その澱粉成分は柔軟剤としての役割を果しているものであることは、右明細書の記載からして明らかである。

これに反し本願方法のものにおける処理剤は、前記のとおり二成分系のものであつて、全然澱粉成分を含まないものであり、その柔軟剤としての役割はゴム成分がこれをしているものであること、その組成自体からみて明らかである。従つて柔軟剤として澱粉成分を使用し、これを必須の要件としている引用例の明細書に、この澱粉成分を全然含まずして、柔軟剤の役割はこれをゴム成分に依存している本願発明の方法が、容易に実施できる程度ににおいて記載されているものとは、とうていこれを解することはできない。そして引例発明においてゴムと合成樹脂との配合割合が、その実施例に記載された配合条件に必ずしも限定されたものでないこと審決指摘のとおりであるとしても、引例発明は前記のとおり擬革素地の製造を目的とするものであることと、またその柔軟剤としては前記のように澱粉成分を使用するものであることとから考えれば、ゴム成分と合成樹脂成分との配合割合はその実施例に示されている程度か、それに近い程度において、ゴム成分は合成樹脂成分に比べて遥かに少量のものであることを当然の前提としているものと認めるのが相当である。従つて仮りに、合成樹脂成分とゴム成分との性質の相違により、その配合割合を異にすることによつて、処理剤、従つてまたその被処理物の性質に相違を来すことが当業者の常識であることまた審決指摘のとおりであるとしても、これを本件のような織物性質の有孔性面形成物の製造方法に適用し、引例発明における柔軟剤としての不可欠成分である澱粉を全く排して、合成樹脂とゴムとの二成分のみとし、そのゴム成分の量を、引例発明のものとは逆に、合成樹脂成分の量に比して遥かに多量である本願のような比率のものとする本願発明をもつて、引用発明と同一ないしは均等のものとはとうていこれを解し難い。従つて、審決が前記の引用例における澱粉成分の存在とその作用とを全然無視して、右引用例によつて本願発明の新規性を否定したことはこれを失当とするの外はないところであり、また右引用例の存在下にあつては、本願発明は、当業者の必要に応じ容易に推考実施できる程度のものともまたこれをいうことはできないものと考える。

四、被告は、ゴムと合成樹脂から構成される結合剤は引例発明以前から周知であつて、引例発明に至る技術的進歩の過程においてゴムと合成樹脂との協働性は解明せられていたものと主張する。しかしこの被告の主張を支持するに足る資料は何ら提出せられておらず、引例明細書においても結合剤成分としてのゴムと合成樹脂との協働性については殆んど何らの言及もせられていないこと前記の通りである。そしてまた、成立に争いのない乙第一号証(ケミカル・アブストラクツ第四四巻九号、一九五〇年五月一〇日発行、昭和二五年六月特許庁陳列館受入)には、なるほど合成樹脂がゴムの加硫剤として使用され得ることが記載せられていることはこれを認めることができるが、これは固より引例発明出願後の文献であり、また右文献の記載によつて、不織布の結合剤成分としての合成樹脂とゴムとの協働性が既に解明せられているものとはとうていこれを認め難いところであるから、右文献の存在下において引例明細書の記載を見れば、本願発明の如きは、当業者であれば容易に推考実施し得る程度のものとも認めることはできず、右被告の主張もまたこれを採用することはできない。

五、以上の通りであるから、引例発明の明細書によつて本願発明の新規性を否定した本件審決は、その余の争点について判断するまでもなく失当であつて、とうてい取消を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山下朝一 古原勇雄 田倉整)

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